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たいご/書家
1951年島根県生まれ。1972年の島根での書の講習会で駒井鵞静(こまい・がせい)に見出され、1974年に進めに従い上京して内弟子となる。その後、公募展等で数多の入賞を果たすが、1983年の毎日書道展「毎日賞」受賞後フリーとなり、個展(日本各地で21回開催)を主な作品発表の場として現在に至る。早稲田大学嘱託書家として、1982年のジェームス・ウィリアム・フルブライト氏以来、各国大統領、国王、皇太子、ノーベル賞受賞者、国連事務総長、各国大学学長等々、百数十名の早稲田大学名誉博士学位記の揮毫の他、各種催しの立て看板等々筆文字に関わる業務に携わっている。インターネットや出版界では大五郎先生として親しまれ、独学者へのアドバイスを行っている。書道研究途上社代表、日本蘭亭会監事。

書家・渡部大語 twitter

島根での書の講習会で駒井鵞静に見出され内弟子となる。毎日書道展「毎日賞」受賞後フリーとなり、日本各地での個展を主な作品発表の場として現在に至る。早稲田大学嘱託書家として、82年のジェームス・ウィリアム・フルブライト氏以来、各国大統領、国王、皇太子、ノーベル賞受賞者、国連事務総長、各国大学学長等々、百数十名の早稲田大学名誉博士学位記の揮毫の他、筆文字に関わる業務に携わっている。インターネットや出版界では大五郎先生として親しまれ、独学者へのアドバイスを行っている。書道研究途上社代表、日本蘭亭会監事。

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たいご/書家
1951年島根県生まれ。1972年の島根での書の講習会で駒井鵞静(こまい・がせい)に見出され、1974年に進めに従い上京して内弟子となる。その後、公募展等で数多の入賞を果たすが、1983年の毎日書道展「毎日賞」受賞後フリーとなり、個展(日本各地で21回開催)を主な作品発表の場として現在に至る。早稲田大学嘱託書家として、1982年のジェームス・ウィリアム・フルブライト氏以来、各国大統領、国王、皇太子、ノーベル賞受賞者、国連事務総長、各国大学学長等々、百数十名の早稲田大学名誉博士学位記の揮毫の他、各種催しの立て看板等々筆文字に関わる業務に携わっている。インターネットや出版界では大五郎先生として親しまれ、独学者へのアドバイスを行っている。書道研究途上社代表、日本蘭亭会監事。

書家・渡部大語 twitter

島根での書の講習会で駒井鵞静に見出され内弟子となる。毎日書道展「毎日賞」受賞後フリーとなり、日本各地での個展を主な作品発表の場として現在に至る。早稲田大学嘱託書家として、82年のジェームス・ウィリアム・フルブライト氏以来、各国大統領、国王、皇太子、ノーベル賞受賞者、国連事務総長、各国大学学長等々、百数十名の早稲田大学名誉博士学位記の揮毫の他、筆文字に関わる業務に携わっている。インターネットや出版界では大五郎先生として親しまれ、独学者へのアドバイスを行っている。書道研究途上社代表、日本蘭亭会監事。

1) 早稲田大学の嘱託書家になった経緯を教えてください

1982年、早稲田大学100周年の時からです。前の嘱託書家の方がお年を召して、ひとりじゃできないから誰かいないかと。私の師匠(書家・駒井鵞静氏)が早稲田大学の講師をやっていたこともあり、「お前、行け」と師匠に言われたんです(笑) 今はそのような依頼はないですけど、昔は“お手洗い”から“名誉博士号”まで書いていましたよ(笑)

2) 書家になったのはいつ頃ですか?

いつからかがはっきりしないんです。
書道自体をはじめたのは、中学2年生からですね。その少し前に、書道の校内コンクールで、たまたまいい賞をもらったんです。当時、書道部の部員は100人ほどいたんですけど、全員女の子だったので、中学2年の時に、男の子を5人ほど引き連れて入部したんです。それで、書道部に入部したら「こんなにおもしろいんだ!」と。まず、先生の書く線が魔法のようだったんですね。なんでこんな線がだせるのかと思って、熱中したんです。
高校は工業高校に行ったんですけど、書道部がなかったので書道部を作りました。ただ、2年生の時に高校を辞めてしまったんですよ。それで、書道とは関係ないコックになって。5年くらい働いて、将来を有望視され、お店の株をもらったり(笑)だから、書家になるとは思っていませんでした。
師匠とは松江市での講習会で出会いました。僕が書いているものを見て「お前、よかったら(東京に)出てこい」と。それで、親に仕事を辞めて東京に行きたいといったら却下されて(笑)1年間我慢して、もう一度東京に出たいと言ったら、いいと言ってくれたので、上京しました。

3) ひたすら書を書く人生だったんですか?

僕は普通のお弟子さんとはちょっと違って、書かなかったですね(笑)45歳くらいまでは教場の掃除をしていて、それが修行みたいなものでした。まず、師匠からは手本をもらわないんです。最初の半年くらいは山のように書いていたんですけど、なんだかつまらなくて(笑)書いていて耳が塞がっているよりは、師匠がお弟子さんに喋ったり書いたりしてるのを、見たり聞いたりしていたほうがよっぽどためになったんです。

4) 修行のような日々を越え、その後は?

ほとんどの場合、師匠に教場を世話してやるから行けとか言われるんですけど、僕の場合はそういうことは一切なくて、自分で開拓していたんですよ。自分でアパートを借りてアパートで教えたり、友達のつてで遠くまで教えに行ったり、自分で段取りをつけてね。師匠は「男は放っておいても自分で這い上がるもんだ」という考えだから、何もしてくれなかったですね(笑)
ある時、師匠が展覧会の審査員を辞めたとき、ごっそりお弟子さんが辞めていったんです。「みんな、師匠のよさを分かってないな」と思いました。それに、展覧会でいい地位を得るためだけに習いにきてるみたいで、とても残念でしたね。展覧会の賞は、年功序列で決まるような面もあるんですよ。僕が所属していた会にもそういう傾向があったんですが、番くるわせで僕が2回いい賞をとってしまったことがあってね。やっぱり予定と違うといろいろあるんです。
書は、技術を競うところがある。見て何かを感じ取るのではなくて技術の面が大きいんです。だから、玄人が見ればうまい下手は分かりますけど、どうしても一般の人は、なんていう字が書いてあるかすら分からない。ただ、読めないけど、すごい技術はそれだけで人を感動させることができるんです。表現する技術を持っていなければ、表現できませんしね。なにひとつ後世には残らない。それってつまらないですよね。

5) お客さんに伝わること以外に求めるものは?

ないですね。たとえば、書では規範的なものを書くときは、これではいけないという筆遣いがあるわけです。ただ、「こんちきしょう!」 みたいなものを書くときに、きれいな文字を書く筆遣いじゃ「こんちきしょう!」 にはならないんですよ。それは、最初からやっちゃいけないという頭がある人にはなかなかできないですよね。

6) 書道が好きという一方で、言葉が好きというのもあるんですか?

ありますね。僕の母ちゃんは、これは書にしたらおもしろいという言葉を集めて本を出していますけど、そういう感性が書家には必要ですね。昔からある言葉をとっかえひっかえ書いていたんじゃ、おもしろいものはなかなかできないですよね。
なんで自分の言葉を書かないのか? という質問がよくあるんですが、いくらがんばったって、プロフェッショナルが作った詩や言葉には敵わない。自分が考えた言葉なんて書にならないですもんね。よっぽど勉強した人ならいいでしょうけど、その境地にはなかなか辿り着けないです。
言葉との出会いは、巡り合わせ。特に言葉を探そうと思って新聞とかを読むわけじゃないけれど、僕の場合はたまたまよく巡り会うんですよね。あとは、昔に書いたけど、もう一回まったく違うバージョンで書いてみよう、とかはあります。年齢によって言葉に対する感じ方が違ってきたりしますからね。

7) 挫折した経験はありますか?

挫折はないかな。僕は母とふたり暮らしで、中学に入るまで人様に預けられて親と別々に暮らしていて、中学に入ってから母親と暮らすようになったんです。ひもじい思いまではしていなかったけど、父親がいないと、よその家庭がしてもらえていることをしてもらえないとかはありました。大人の顔色を伺って生きているようなところがあったんです。でも、若いときに苦労しているといい書が書けるようになるような気もするし、実際に師匠が僕にそういったんですよ。「お前はいい書を書く資格があるよ」と。

8) 尊敬する人は?

師匠ですね。生みの親的師匠である中学校の書道部の先生と、育ての親的師匠である駒井鵞静先生。生みの親的師匠は最近亡くなられたんですけど、最後に母ちゃんと本を出すお手伝いをさせてもらって。これが、漢字の字形の問題を20年、30年かけて仕上げた力作なんです。
今、小学校では、「無」という字の真ん中の横棒をいちばん長く書くように教えているんですよ。ただ、それは間違い。中国、台湾、韓国、どこの字もいちばん下が長いんです。明治時代に活字を作る際、活字職人さんが間違ってしまったようなんですね。中学校の書道部の先生は、そういうことを発見した人なんです。
育ての親的師匠である駒井鵞静先生の影響も大きいですよね。たとえば、師匠に「お前は何か注意するとすぐ顔に出るから言いにくいんだよ」とか言われましたけど、自分の欠点は自分で分かっているから人に言われると腹が立ちますよね。だけど、師匠の言葉は知らないうちに入って来て、「これ師匠が言っていたことじゃん」みたいなことがあるんです。だから、自然と字も似てきますよね。

9) 書家で大切なものは?

いちばん大切なのは、頭の柔軟性ですね。
これをやってはいけないということはないと思ったほうがいい。前衛書道家とか文字じゃないものを書く書家もいて、「そんなものは書じゃない!」 という人もいるんですけど、書じゃなくたっていいじゃないですか。書的な絵みたいなものでも、いいものであれば別にいいと思うんですよね。

10) 今後はどんな存在に?

書道界には、書を楽しんでいる人は多いと思います。けれど、どうせ楽しむならもっとちゃんと勉強しようよ、と思いますね。脚光を浴びている人のなかにも、感覚的にいいものを持っていて、もうちょっと勉強すればいいんだけどな……という人が結構います。困るのが、実力のない人に限ってアツいんですよ(笑)でも、そういう人がもっと実力をつけると、もっといい広がりのある表現力を持てると思うんですよね。……なんていうようなことを言えるジジイになりたいんです。
あとは、“大語道場”みたいな、書について何でも言える場を作りたいんです。今、書道界では、内輪で褒め合うばかりで、書に対して議論する場がない。そういう場があると、若い人も刺激を受けていいと思うんです。

PHOTO:神藤 剛

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