Headlogo
about

Profile | プロフィール

ちはら・てつや/アートディレクター/グラフィックデザイナー/株式会社れもんらいふ代表
1975年京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、舞台「100万回生きたねこ」、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。また、近年は洋服ブランドZUCCaとのコラボレーション「ZUCCa LEMONLIFE CO.」のデザイナー、ラジオパーソナリティ、アーティストのMVやCMの監督など、さらに活動の幅を広げている。

株式会社れもんらいふ公式HP

京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、舞台「100万回生きたねこ」、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。

Media | メディア出演実績

Contact | お問い合わせ

[tel]03-6434-7303 [mail]contact@qreators.jp

ちはら・てつや/アートディレクター/グラフィックデザイナー/株式会社れもんらいふ代表
1975年京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、舞台「100万回生きたねこ」、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。また、近年は洋服ブランドZUCCaとのコラボレーション「ZUCCa LEMONLIFE CO.」のデザイナー、ラジオパーソナリティ、アーティストのMVやCMの監督など、さらに活動の幅を広げている。

株式会社れもんらいふ公式HP

京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、舞台「100万回生きたねこ」、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。

NEWS | ニュース

1) そもそも、千原さんは「何屋さん」なんですか?

何屋と呼べばいいんですかね(笑)。いろいろ手がけているので、オリジナルの肩書きを考えようかと思ったこともあるのですが、いまいち耳慣れない。いろんな仕事をすればするほど、「アートディレクター」を名乗っていたほうが落ち着く気がします。ラジオやトークショーなど、本業と無関係のことをしていても、どこまでいっても、僕のベースにあるのはアートディレクター。ずっと目指していた仕事で、今でも憧れの仕事なんです。

2) アートディレクターに憧れたきっかけは?

もともと映画に携わる仕事がしたくて、なかでも興味を持ったのが映画のタイトルデザインでした。タイトルデザインって本当におもしろいんですよ。どんなタイミングで、どんな曲に乗せて、どんな文字で、どんな出し方をするか……。この出来次第で、作品の世界に入り込めるのかが変わってくる。学生時代、好きな映画のタイトルシーンだけを集めたビデオを編集したほどでした。 当時は、タイトルデザインの第一人者と呼ばれるソール・バス(※1)に憧れていて、彼の肩書きがアートディレクターだったんです。 でも、タイトルデザインの仕事に就くなんて夢のまた夢の話。だから、せめて近い業界で働こうと、22歳のときに地元のデザイン会社に就職しました。ここでの主な仕事は、マクドナルドのクーポンの、しかも裏面。店舗の地図情報や文字情報のデザインだけを、黙々と5年間続けていました。

3) 5年は長いですね。「こんなのは自分の仕事じゃない!」と、辞めたくなったことはありませんでしたか?

特に不満はありませんでした。映画に関してははるか彼方の話だから「ファンとして楽しめばいいや」と思っていたし、仕事に関しても何の疑問もなく「自分の人生のポジションは、この辺りかな」と考えていた。それに、クーポンの裏面デザインは勉強になりましたからね。限られたスペースに長い店舗名を収めるため長体にしたり、店舗によって扱ってない商品の注意書きを入れたりと、ここで細かい作業やレイアウトを学びました。

4) しかし、結果として仕事を辞めて上京しましたよね? 何がきっかけだったのでしょう

佐藤可士和さんの仕事に衝撃を受けたんです。当時、可士和さんはSMAPのアルバム『S map〜SMAP014(エス マップ〜)』(※2)のCDジャケット&連動広告を手がけていたのですが、デザインは「赤・青・黄」の三色だけ。そして、右下に小さく「Smap」の文字を入れるという非常にシンプルなものでした。「おもしろい!」と感じると同時に、失礼な言い方ですが「自分もできるかもしれない」と思った。というのも、あのデザインの作業自体は“3分”程度でできてしまう。当時の僕は、デザインには高い技術が必要だと思っていたけど、可士和さんの広告を見て、大事なのは“発想力”だと気づかされました。おもしろい発想さえあれば、大きなインパクトを与えられる。じゃあ、僕も発想で勝負してみようと、東京で本格的にデザインの仕事をすることに決めたんです。

5) このとき28歳ですが、本格的なスタートを切る年齢としては遅い部類に入るのでしょうか?

いや〜、遅いですね(笑)。しかも、僕の実績はマクドナルドのクーポンだけ。何度も不採用になり、ようやくバイト扱いで入ったデザイン事務所も年下ばかり。年上の新人に対する風当たりはきつく、いくつかの事務所を転々としていました。 そんな生活が2年ほど続いたあと、契約社員として入社した博報堂で、アートディレクターの権田雅彦さんに出会いました。権田さんのスタイルは、納得いくまで数千パターンを試すこと。ロゴひとつにしても、まずは1000パターン前後を用意する。その中からひとつが決まっても、さらにそこから、フォルムや大きさ、配置を変えて再び1000パターンを試す。とにかく、あらゆるパターンを検証した結果、消去法でベストのデザインを導くんです。正直「ここまでやるのか!」と思いました(笑)。でも、僕は感覚タイプだったので、権田さんの手法を経験できたのは大きかった。ゴールまでのアプローチ以外にも、人に認められるためのクオリティを学ぶことができましたから。

6) 紆余曲折を経て、2011年に独立されましたが、現在支持されている“千原徹也ならではのデザイン”とは?

アートディレクターとして、自分の個性を見つけないとプロになれないと考えていました。その上で、いろんな仕事を通じて自分に合っていると感じたのはファッションです。マス広告が「分かりやすさ」を求めているのに対し、ファッションは非常に「感覚的」。あからさまな主張を控え、隠されていることがおしゃれとされる。それって、すごくおもしろいなと。 とはいえ、独立後も1〜2年は自分のスタイルを模索し続けていました。結果から言えば、僕は個性を発見したのではなく、求められたことによって個性に気づかせてもらったんです。
きっかけはファッション誌『VOGUE GIRL』。僕の絵を気に入ってれた編集者さんから「太田莉菜さんの顔写真にラクガキをして欲しい」という依頼がありました。すると、そのページを見て同様の依頼が続くようになり、気がつけば「モードな写真に可愛い絵を入れる(ドローイング)」というスタイルが“千原らしさ”と捉えられるようになりました。 でも、ドローイングだけを武器にすると幅が狭くなってしまうので、最近はドローイングを用いずとも“千原らしさ”を感じてもらえるように心掛けています。

7) そのほか、デザインする上で大切にしていることはありますか?

広告の仕事では、本格的・シズル感・ヌケ感の3つが大切と教え込まれてきましたが、僕はそれに加えて“カワイイ”が重要だと思っています。見た瞬間、衝動的に飛び出す「カワイイ!」のひと言は、あらゆるロジックを吹き飛ばすパワーを持っている。たとえば、クライアントへプレゼンする際に、ものすごくしっかり資料を用意して、理論的に説明していても、いざ作品を見せたときに「カワイイ!」と言わせられないと意味がない。逆に、そう言わせれば勝ちというか。
また、“カワイイ”は世界でも通用する要素。「本格的」や「ヌケ感」は世界中に存在しますが、日本人の作品で飛び抜けているのは「カワイイ」なんじゃないかなと。 だからこそ、僕は「カワイイ」を“可愛いものだけ”にではなく、「シリアス」や「ホラー」など、ミスマッチとも思えるジャンルにも融合させたい。そこから生み出されるものは可愛さとは別物かもしれませんが、ありきたりなデザインから抜け出し、新しいものをつくりだすチャンスとなります。デザインの仕事をする以上、過去の作品とはまったく違うものをやりたいんですよ。

8) 「常に違うデザイン」を続けることは大変な作業ですね

本当に大変だな〜と思います(笑)。でも、それがこの仕事の楽しみでもある。だから、ドローイングやカワイイだけでなく、幅広い依頼を待っています。どんなパターンを投げられても、“千原っぽく”打ち返すのが目標なんです。 ただし、「すべて新しいもの」に限定するのではなく、“過去の名作をリスペクト”するのも興味深くて。昨年、新宿ルミネの広告を任されたとき、矢沢永吉さんのアルバム『ゴールドラッシュ』(1978年発売)のジャケットと、まったく同じデザインを採用しました。これは「矢沢さんの口から大量の星が飛び出す」という強烈なインパクトがあり、また表題曲の歌詞が新宿の雰囲気ともマッチしていた。そこで、矢沢さんに承諾を得た上で、外人モデルを起用して同じデザインを再現したんです。
僕は「過去の優れたデザイン」とは“その時代の最先端”だと考えています。かつて権田さんからは常々「普遍的なものをつくらなくてはいけない」と言われていました。それを僕は「いつの時代でも受け入れられるもの」と解釈していましたが、その意識でつくると普遍的なものはなかなか残せない。では、どうすればいいかというと“常に最新トレンドを目指す”んです。ファッションの世界では、目まぐるしく流行が変わるので、半年後には「古い・つまらない」ものになっていなくてはいけない。しかし、こうした最新トレンドを取り入れたデザインは、半年後に受け入れられなくとも、20年後、30年後に伝説になることがあります。当時の最先端を追求したからこそ、その時代の象徴として強い情熱を感じ取れる──それが、結果的に“普遍的なデザイン”なんだと思います。

9) 今後も、さまざまな活躍が見られそうですが、具体的にやりたいことはありますか?

やはりデザインが好きなので、より多くの人にデザインを楽しいと感じてもらいたいです。現在のデザインの地位って、残念ながら低いんですよ。世の中に存在するすべての人工物は、デザインであり、アートだと思っていますが、日常に溶け込みすぎているせいか、デザインが軽視されているのかもしれません。だから、ラジオやトークショーなど、アートディレクターのフィールドを超えて、いたるところでデザインの魅力を伝えていきたい。そして写真や絵などと同様に、いつかデザインや宣伝物がアートとして認められるようにしたいと思っています。
個人的な仕事としては、最初の夢だった「映像」を増やしていきたいですね。「殿堂入り」とか「巨匠」などと呼ばれることなく、いつまでも現役でいるつもりです。それこそ、おじいちゃんになっても若い子たちと遊んでいたいし、同じ土俵に立っていられたら素敵ですね。

TEXT:松本晋平

PHOTO:神藤 剛

このページが気に入ったら「いいね!」

Qreatorsの最新情報をお届けします