QREATORS

「前例」をぶっこわす、車いすアスリートが生まれるまで【後編】

2015.7/8

Oyako title uehara

前編に引き続き、アイススレッジホッケー競技銀メダリストの上原大祐さんと、母・鈴子さんにこれまでの子育て人生を伺います。

150620 qat0098
障がいは障がい。「個性」って言うやつ大嫌い

ーー大祐さんの障がいを知ったのは、いつ頃でしょうか?

鈴子 大祐が生まれてすぐですね。検査をしたら二分脊椎という病気だと分かって、足や脳などに身体障がいが出る可能性があると言われました。
…本当にショックでしたね。最初は「なんで私なの?」「なんで大祐なの?」「こんな不幸なのは私たち親子だけ」ってクエスチョンと行き場のない不安ばかりで、将来を描けなかったです。大祐が2歳になるくらいまで、そうやって落ち込んでいました。

ーー前を向けるようになったきっかけは何だったのでしょう?

鈴子 病院のなかにある、障がい児学級などに参加するようになってから、少しずつ前向きになれるようになりました。
リハビリ担当の先生に勧められて、ヒマワリ園というところに2歳くらいから通い始めたんですけど、そこで「自分だけじゃない」ということが分かったんです。
その後も、別の病院で障がい児学級に参加する機会があって、さまざまな障がいを持つお子さんと親御さんが来ていて、いろんな話を聞く、見るということをしているうちに、世界が広がっていきました。
「自分だけが不幸」「自分だけが毎日不安」と思っていたんですけど、いろいろな悩みを抱えたお母さんたちがいるんだって気がついて。
あと、日々成長する大祐を見ていて、「こんなに可愛いんだもん。私がしっかり育てなきゃ」と。そこからは、もう後ろは見ずに「前しか向かない」って決意しました。

S11667003 932592090132513 153902982 n

ーーそこで切り替えられたんですね。

鈴子 でもね、当時の私はすべてに全力だったから、ある人に「たまには休んだらどう?後ろを見ることも必要よ」って言われたことがあって。
でも、当時の私はそれを受け止められなくて、「私たちは前を見ることでしか進めない。何もわからないのにそんなこと言わないで!」って、すごく腹立たしく思っていました。あとは「いつもニコニコしててすごいね」とかもショックでしたね(笑)
いまは、大祐もすっかり自立してくれたし、そう言った人の気持ちも分かるくらい、肩の力が抜けたんですけどね。

ーー大祐さんご自身は自分の障がいについてどう思っていらっしゃいましたか?

大祐 「何で自分なんだ」って思うことはもちろんありましたよ。やっぱりハンデなんで。
私、「障がいは個性」って言う人が大嫌いなんです。「障がいは障がい」ですから。個性でもなんでもない。
たとえば、視力が低いことは個性なんですか? 違いますよね。面接のときに「あなたの個性はなんですか?」って聞かれて、「視力が低いことです」って絶対に言わないと思うんです。
だけど、変わったデザインのメガネをかけていたり、車いすをかっこよくリメイクするのは、ファッションであり個性です。いろんな切り口から障がいという壁を壊していく活動をしている人は私以外にもたくさんいます。

150620 qat0010
多くの人にプレイヤーになるきっかけを与えたい

ーー一方で、障がいがあるために、引け目を感じてしまい、おかしいと思うことがあっても行動するまでに踏み切れない人、ご家族もいらっしゃると思います。その点はどう思いますか?

大祐 誰しもがファイティングポーズをとれるわけではなく、ファイティングポーズをとって戦える人もいれば、セコンドの人、観客の人もいると思うんです。
私は、戦える人を増やしていくのが、世の中をひっくり返す第一歩だと思っています。今はまだリングには上がらずに、セコンドや観客の人たちがたくさんいる。でも、もしかしたら活躍しているボクサーを見て、来年は自分がプレイヤーになりたいと思うかもしれない。だからこそ、「リングに立ちたい」と思う瞬間を与え続けたいんです。
私の場合、そのひとつがアイススレッジホッケーなのですが、「カッコイイな」「楽しそうだな」「やってみたいな」って思ってもらうことが、観客からプレイヤーになるきっかけになると思います。
ちなみに、私は水泳苦手なんです。だから、プールサイドにぽんと置かれてもいつまでたっても何もできない(笑)。そのかわり、アイススレッジホッケーに出会ったとき「出番だな」って思ったんです。
だから、いろんな世界を知ることによって、「これは無理だけど、ここはいける!」という気づきも生まれます。
私はパラリンピックに出場したことで、世界中のいろんな人に出会えるようになって、本当にプラスになったと思っています。パラリンピックの開会式では、7万人くらいの観客の中を入場するわけですよ。「障がい者だからできない」って言ってたらこんな舞台踏めないです。
いまの自分がいるのは「できる経験」を重ねてきたからだと思っていますね。それは母のおかげでもある。
大事なのは、恐れずに経験をするとか、できないかもしれないという先入観をとっぱらうこと。
あとは、子どもが外に出て行くことに親がひるまないことも大事だよね?

鈴子 そうね。不安は不安だし、怪我とかも怖いんですけど、その時はその時かなって(笑)。見ていて危なそうな時は注意もしますけど、ダメっていうと本人の楽しみがひとつ減ってしまうので。チャレンジさせたほうがいいです。
親御さんが怖いなと思っていると、結局子どもは出ていけなくなる。ということは、親は子どものために勇気を出さなくてはいけない。
そうじゃないと子どもも勇気を出せないと思います。

150620 qat0038
親が100%のいってらっしゃいを言えば、子どもはがんばれる

ーー障がいについての意識が変わった瞬間はどんなときですか?

大祐 アイススレッジホッケーですね。私は地元が長野なんですけど、小学校のころからスピードスケートとアイスホッケーをやっている人がいっぱいいるんですよ。ただ、練習場があまりなくて、通うのに片道2時間くらいかかるので、自分で免許を取ってから通おうと決めてました。大学1年の時は大学生活を楽しみ、2年生からアイススレッジホッケーを本格的に始めました。
私は母のおかげでずっと普通学校に通えていたので、アイススレッジホッケーをスタートして初めて障がいを持った方たちと身近に関わることになったんです。
たとえば、アイススレッジホッケーって足がない人のほうがスピードが速いんですね。そこで彼らは「どうせ大祐の足は使い物にならないんだから切っちまえよ」とか、わりと平気でケラケラ笑いながら言うんです。あと、足のない人が座ってると「お前、足が地面に埋まってるぞ」とか。
そこで「自分の障がいをそうやって面白くするで、自分たちの障がいを受け入れることができるようになるんだ」という気づきがありました。
自分自身、そうして障がいを受容できたからこそ、今の多様な活動ができているのかなと思います。

ーーこうしてお話しを聞いていると、おふたりってとても似ていますね。

鈴子 理不尽なことを許せないところは似てるよね。大祐は健常者が当たり前にしていることを、障がい者も当たり前にできる世の中にしていきたいっていう想いで活動しているけど、それって本当に大事なことだと思います。

ーー最後に、お互いの"尊敬するところ"を教えてください。

鈴子 何にでもチャレンジする、何にでも興味を持つところでしょうか。あとは昔と変わらず友だち、仲間づくりもすごく上手で、それは本当に尊敬しますね。いま大祐とは離れて暮らしているんですけど、大祐の地元の友だちとLINEしたり仲良く遊んでもらってます(笑)

大祐 私はよく講演会などで、「親が勇気を持って『100%のいってらっしゃい』を言う。そうすれば子供は120%以上成長する」と話しているんですが、それは母に育ててもらったことで学んだことですね。
母が「なんでもやりなさい」という人だったからこそ、この言葉を多くの人に伝えられるんだと思います。

Interview/Text: 末吉陽子
Photo: 神藤 剛

上原大祐

うえはら・だいすけ/社会起業家、アイススレッジホッケー競技銀メダリスト。 1981年、長野県出身。生まれながらに二分脊椎という障害を持ちながら、そのバイタリティと明るさでリーダーシップを発揮。19歳で出会ったアイススレッジホッケーに熱中になり、2006年トリノパラリンピック日本代表として選出され、日本人選手最多のゴールを決めた。10年のバンクーバーパラリンピックでは、準決勝のカナダ戦で決勝ゴールを決め、銀メダル獲得に貢献。現在はアスリートとして、会社員として、そしてNPO法人「D-SHiPS32」の代表として多方面で活躍する。

http://qreators.jp/qreator/ueharadaisuke

プロフェッショナルのための
クリエーターのカタログサイト
アイデアが見つかる。
仕事が生まれる。

プロフェッショナルの
目線に合わせた独自のカテゴリ、
今話題の情報、時期に合わせた
旬のキーワードを軸に
あなたが求めるQREATORを
ご紹介します。