キンコン西野も語る!「アートの入り口は性欲解消」【アートについて前編2/2】

2015.5/29

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「技術」がなくても、「ひらめき」があれば勝負できる

――入り口はおもしろいくらい三者三様ですね。仕事としてアートに関わったきっかけはそれぞれどのタイミングだったんですか?

西野 僕は中学2年からエロい絵を描きはじめたんですけど、3年に上がったとき、素の自分を周りに見せたので、そこから絵を描く必要がなくなった(笑)

――カミングアウトしたんですね(笑)

西野 そう。で、その後、紆余曲折あって芸人になったんですが、20歳のときに『はねるのとびら』という深夜番組がスタートまして。この番組をゴールデンに持って行ったらスターになれると思って一生懸命頑張ったんだけど、ゴールデンに進出して視聴率20%を取っても、生活がよくなっただけで、一向にスターにはなれなかった。打席もたくさんもらってるし、バットも振らしてもらってる。それでもホームランを打てないという状況を「ヤバいな」と思ったとき、「30〜40歳になってもしれっと芸能界にいるヤツ」になっている未来が見えまして……。そこで何を思いついたのか、相方と僕らの世話をしてくれている吉本興業のスタッフを呼んで、「今出演している番組は一応やるけど、これからひな壇・グルメ番組・クイズ番組にはもう出ない」って言っちゃいました。

千原 それは「はねとび」全盛期?

西野 そうです。25歳くらいのとき。そうしたら週5日くらい休みになって(笑)。「言うんじゃなかったな」と思ってたら、タモリさんに呼び出されて「お前は絵を描け」と言われたんです。『笑っていいとも!』に出演していたとき、タモリさんにだけ見えるようにフリップの裏にエロい絵を描いてたんですよ。それを見ていたタモリさんが声をかけてくれて、「じゃあ絵本作ろうか」という話になった。

田中 生放送でエロい絵を描くって相当スリリングですね(笑)

西野 急にフリップを裏返しにされたり、後からカメラが回っていたら、確実に僕の芸人人生は終わってた(笑)

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田中 アハハハハ! 僕は基本的に、女子にモテたいという動機は変わらなかったかな。いろいろあって美大を目指すことになったんですけど、多数の学科があるなかで、オシャレだからという理由だけでデザイン科を選んだし。

西野 一貫してますね(笑)

田中 でも、浪人時代は絵を描くことが本当に楽しくなって、受験戦争は苦もなく過ごしましたね。人がなにかを物を作るときって、誰に見せるかを設定すると思うんですけど、僕が大学時代に相手として設定していたのは友だちだった。あくまで個人的な意見ですけど、教授に評価されるっていうのは、大学では意味ないなと思っていて、同世代の人間にウケるものがいちばん正しいと思ってました。最後の卒業制作だけは不特定多数に届けたいと思って取り組み、それが『報道ステーション』の仕事へとつながっていくんですけどね。

西野 じゃあ、卒業制作を通じていきなり大きい仕事をもらえるくらいになったってこと?

田中 卒業制作から『報ステ』仕事までは1年の間隔があって、その間は制作会社に務めてたんですけど、この案件を終えた直後に「今後はフリーで食べていける」と思って退職しました。でも半年間は仕事がなかったですね(笑)

千原 僕はさっきの話の延長になるんですけど、中学2年の時にその友人が転校してしまったことや、中高生特有の「スポーツをやっている人がモテる」みたいな流れもあって、「キモい」とかいろいろ叩かれたり、漫画が描いてあるノートを取り上げられてタライ回しにされたりしましたね。

西野 えー! ひどいことすんなぁ。

千原 それが辛くて絵を描くことを辞めて、それから自分を見失ったんですよ。だから高校生の頃、自分が何をやっていたかをまったく覚えていない(笑)。大学も何も考えずに経済学部に入りましたし。

西野 また……経済学部ってあたりが(笑)。でも、中学3年生からの4年間ってめちゃくちゃ多感な時期じゃないですか。恋愛経験はなかったんですか?

千原 彼女は20歳までいなかったですねぇ。でも、大学に入ってやっと趣味の合う友だちができて、そいつとライブや映画を見に行くうちに、自分が改めて絵や映画、漫画が好きだということを思い出してきた。そこから「就職するなら絵を描けるところがええな」と思い、知り合いの紹介でデザイン会社に入ったんです。

――デザイン会社ってそんな簡単に入れるものなんですか?

千原 普通入れないと思います。でも、紹介だけしてもらって面接に行ったら「かなり忙しいから明日から来て」と言われて、東京で作られたマクドナルドのクーポン裏面をひたすら関西版に直す仕事が始まりました。「何日まで」とか、「泉佐野店でのみ有効」とか、「◯◯店ではオレンジジュースは販売しておりません」とか。そういうのを打ち込んでいた。自分がアートやデザインなんかできると思ってなかったし、一応肩書きはデザイナーやったからそれでいいと考えてましたね。

田中 その仕事はどのくらいやってたんですか?

千原 5年くらいですね。ある時、書籍をオフィスに売る営業の人が、デザイン本なんか一切置いてないうちの会社に来て、『ADC年鑑』とか『TDC年鑑』を「一週間置いていくので買うなら言ってください」と貸し出してくれて。それがおもしろくて読みふけったんですよね。特に佐藤可士和さんが手がけた『S map~SMAP014』に惹かれて、「技術がなくても、閃きひとつで出来るんや。じゃあ、自分でもできるかもしれない」と思って、28歳にして上京しました。

西野 でも、28歳ってスタートとしては遅いですよね。

千原 めちゃくちゃ遅いです。最初に面接行った会社の方なんて目も合わさず「俺はもう27歳の時に独立してたけどね〜」って言われたり、バイトで入れてもらったデザイン会社でも、周りが24〜25歳の人ばっかりで「できへんおっさんが来た」という接し方をされていました(苦笑)

3人の意外すぎる過去、アートに目覚めるきっかけが知れたところで中編に続く!
中編ではアートを生業にする(?)3人の仕事について、
さらにこれからのビジョンなどに迫ります!

Interview/Text: 中村拓海
Photo: 三橋 優美子

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西野亮廣

にしの・あきひろ/漫才コンビ「キングコング」。絵本作家。1980年、兵庫県出身。芸人として活躍する傍ら、絵本作家や俳優としても才能を発揮。最近では自身が校長となり、さまざまな人をゲストに授業を披露する「サーカス!」を主催し、今年秋にも開催予定。また今夏には個展を、8月1日には日比谷公会堂で独演会を開催予定。

https://twitter.com/nishinoakihiro

田中紫紋

たなか・しもん/映像作家、デザイナー。1979年神奈川県生まれ。 武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科卒。「BABYMETAL」のアートワークやCM、「報道station」をはじめとするテレビ番組の映像制作など、数々のクリエイティブで知られる。

http://qreators.jp/qreator/tanakashimon

千原徹也

ちはら・てつや/アートディレクター、グラフィックデザイナー。1975年、京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなどデザインのジャンルは多岐にわたる。 主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。また、近年はラジオパーソナリティ、アーティストのMVやCMの監督など、さらに活動の幅を広げている。

http://qreators.jp/qreator/chiharatetsuya

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