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「ゆとり教育」後の学校教育は、いったいどこを目指してる?学校が描く“ゴール”に迫る

2015.12.22

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子どもの数が減っていく社会の少子化問題を筆頭に、受験対策に偏った教育への疑問。
21世紀の始まりとともに導入されたゆとり教育、そこで輩出されたゆとり世代への賛否。
そして最近始まった、受験生の個性や能力を評価する「AO(アドミッションズオフィス)入試」導入など学力主義からの脱却とも言える動き。
子どもたちを取り巻く教育の現場は近年、大きな変化のまっただ中にいる。

これからの学校教育は、そして子どもたちはどのような未来に向かっているのだろうか。
東京学芸大学教授の松田恵示先生に話を聞いた。

ゆとり教育は「自己管理=空気を読む」ことを求められた

————前回のインタビューでは、全国各地の大学でAO入試の導入が進んでいる背景や、生徒の能力を計るモノサシが、学力から個性や人間力を求める方向へシフトしているお話を伺いました。それで言えば、2000年代にはじまった「ゆとり教育」は、その先駆けとも言える動きだったのでしょうか?

松田 たしかに大きな社会の流れで見ると、従来の学力だけではない能力を伸ばそう、という文脈でゆとり教育が生まれてきました。
しかし、ゆとりがあったから自由な発想を持つ創造的な世代になったか、というと社会の受ける印象は決してそうではなく、むしろゆとり世代は大人しくて真面目、と評価される傾向にある。

以前にもちらりと述べましたが、ゆとり世代にゆとりがないのはなぜか、というと「ゆとりがあるんだから自己管理しなさいね」と学校や親から押しつけられ、“自己管理できているかを管理された”世代でもあったんですよね。
自由なようで実は縛られているから、周囲に求められる“空気”を読んで「自己管理できている」と外にアピールするような行動になる。

長年話し合われている、これからの社会で求められるような意味での「主体性を育む」というテーマについて、教育ではまだ結果を導き出せていない現状がある、と言えます。

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教師を目指す学生が苦手なものは「ICT」と「英語」

————工夫はなされているけれど、まだ社会が求める「自ら考え、動く人間」という姿へと導くのが難しい、と?

松田 近年はICTツールで世界中とすぐにつながれるグローバル社会ですから、グローバルなレベルで「どういう人材が必要か」と発想しなければいけない。
しかし、教育のあれこれを決めている人たちがどれだけグローバル化しているか、というとぼくを筆頭に決して全員ではないはずです。
自分自身がグローバル化に追いついていないのに、グローバルな環境で生活をしたときにどんな資質が必要か、というのが実感しにくいのは当然ですよね。
社会が求める望ましさ、みたいなものに向けていくのが教育だとすれば、望ましさの基準をどこに向ければいいのか......実は捉えにくくなってきている現状はあると思います。

ちょっとした例を挙げますと、国内にある四つの大きな教員養成大学で最近、HATOプロジェクト(※北海道、愛知、東京、大阪の頭文字の略)という取り組みを行っていて、「いまどんな学生が入ってきているのか」という共同調査をやったんですよ。
そうしたら面白いデータが出てきまして、教育系の学部を志願する学生は一般学部を志望する生徒に比べてふたつ苦手なものがある。

ひとつはICT(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー)、つまりコンピュータやインターネット関連です。そしてもうひとつは英語でした。
いま小中高の現場では、英語の強化はもちろんICTを積極的に導入しましょう、という流れになっているのですが、なかなか進んでいない現状があります。
それには、教員の卵たちのそんな志向の影響もあるのかも?なんてね(笑)。

これは単なる仮説ですが、今の世の中で教員を目指す子は責任感が強いんだと思うんです。けれども、それが安定志向の高さや保守性の強さを増幅させてしまうことにも向いてしまう結果、このような傾向を生んでしまっている可能性がある。
つまりICTや英語など“外の世界に向けて使っていくツール”には、あまり積極的に飛びつかない傾向があるのではないか、と。
それは、教員という仕事に対する責任感から求められてしまうところもあります。教育がもっと挑戦的であっても許される環境があればもっと変わってくるはずです。

グローバル化社会のスピードに教育が追いついていない現状には、そんなところに原因がある可能性もあるんですよね。

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グローバル化に追いついていないのは、世界でも日本が顕著。その理由は2つある

————グローバル社会の到来は世界的な変化だと思いますが、他国の教育現場でも日本のような問題は起っているのでしょうか?

松田 グローバル化に教育が追いついていないのは日本だけの問題とは言えませんが、ただ「日本では顕著である」と言う面はあると思っています。

たとえば海外に留学する大学生は2004年をピークに、大幅に減っています。
アメリカの名門であるハーバード大学の国別留学生のデータを見ると、いま学びに来ているのは、アジアでいうとダントツで中国、韓国の学生で日本人はものすごく少ない。
ゆとり教育以降の流れで説明すると、やはり今の若い世代には自分の枠を離れることに対して臆病な面があるのかな、と。内向きなんですね。

もうひとつは、日本にいても海外の情報が入り、外国人と触れあえる場も適当にありますから「わざわざアメリカまで行って勉強するメリットが分からない」みたいに自足してしまっているのかもしれませんね。
実際、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学、アメリカのイェール大学をはじめ、世界の名だたる大学の人気授業は、かんたんにインターネット配信で観られるんですよ。
メディア環境の変化によって、そこに留学しなくてもかなり質のいい大学教育を受けられる環境が実は整っている。
その気になれば学びやすくなっている、という前向きな現状もあるんですけどね。

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————住んでいる場所の違いに関わらず質の高い教育を受けられる。それはよい変化に思えます。

松田 それは本当にいいことなのですが、一方で学校というのは勉強だけする場ではないんですね。
たとえば通信教育で大学教育を学んでいても、実際に講義を受けに行くスクーリングがありますよね。
その主な目的は勉強なんですけれども、勉強に紐づいて、ふだんの生活では出合わない人との予期せぬ出会いがあり、その人との関わりが内容への理解を深め、自分自身の別な一面を発見する、というような効果が生じる可能性がある。
教育とは本来、そういう、出会いと変化が生まれる成長の場でもあるんです。
その役割を考えたとき、web環境の発展からグローバル化して学びのコンテンツが充実する一方、人との関わり合いで生まれる教育機能は弱くなる、という関係性が見えてきます。
社会の求める「自分で動き、考え、協働する」人間を育てるという面では、この傾向は総合的にマイナスではないか、と感じています。

ただ、大学もその問題は理解していて、近年「アクティブラーニング」「インターンシップ」「サービスラーニング」と言われる教育の体験化とネットワーク化を進めているんですね。
かんたんに言うと、一方通行でただ講義を聴いてもらうより、学生が主体的に関われる課題解決の授業をやるとともに、社会との接点を多く持って学びを進めよう、という動きです。
たとえばこの『QREATOR』の方々に来てもらって、いまのクリエーターを取り巻く環境と問題について語ってもらう、など社会で起っている具体的な問題をテーマに据えるために、大学や企業、団体など外部のブレーンと教員がつながるイメージですね。
学校と企業など、違う主体だった点と点がネットワークで結ばれて子どもを教育していく、そういう動きは大学のみならず小中高でも進められようとしています。

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“グレーゾーンの喪失”で、子育ての孤立が起こっている

————小中高も含めて、社会と学校がつながっていく。教育のネットワーク化は非常に面白そうな動きですね。

松田 小中高、公立私立を問わず、学校が教育課程を編成するときの基準として「学習指導要領」というのを文部科学省の中央教育審議会というところが10年に一度検討するのですが、今年はちょうど実施後まん中の5年目に当たる年で、次の要領の検討をすでに始めているんですよ。
中心となる方針は、「子どもたちの主体性と協働性を育て、創造的な力を持つ子を育てていきましょう」と、そんな感じです。

そのなかに「コミュニティスクール」とか「地域学校協働」という構想があり、先生だけではなく地域社会のいろいろな人が関わって子どもを育てていきましょう、子どもだけでなく社会のなかの出会いを生む教育の現場を作りましょう、ということをやろうと。
端的に言うと、社会総がかりで子どもを育てる体制を作ろうという話なのですが、裏を返すとそれだけ地域コミュニティのなかで、子どものことくらいしか一体になれるテーマがない、という言い方もできるんですよね(笑)。

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————たしかに、保育園の子どもの声に高齢者からクレームが入る例など、地域のつき合いやつながりが失われて、それぞれが自分を主張する社会になっているのでは? という点は否めません。

松田 クレーマーの問題は教育の現場でもよく問題になりますよ。
僕はそこに“グレーゾーン”の喪失、という問題があると考えています。
たとえばあるお母さんが「なんであの先生は、もっとうちの子にしっかり対応してくれないの!?」と腹を立てたとしますよね。
そのときママ仲間とかご近所の方に「あの先生サイテーなんですよ!」と心の内を吐き出す場があると、怒りがギューッと小さくなる。
もしかしたら「いやいや、それはあなたの言い過ぎじゃないの?」みたいな意見ももらい、少し考えが変わることだってあるかもしれません。
つまり社会生活をスムーズに営むためには、そういう中間集団=グレーゾーンの力が必要なんですよね。

しかし、今の子育てはかなり孤立化が進んでいます。
誰に聞くわけでも、誰に助けてもらうわけでもなく、さらに何かあったら自分の責任と思って高いプレッシャーを感じている保護者の方はたくさんいる。
そこに来て気持ちを話せる場もなく、ずっと心のなかで「最悪!最悪!」って思っているうちに怒りはどんどん大きくなり、どこにアクセスするかと言えば、学校をすっ飛ばしていきなり教育委員会にクレームの連絡をしたりする。
グレーゾーンがないから、受け皿の選択肢がないわけです。

それぞれが手を出しあって接点が生まれれば、もっとみんなが楽になるんじゃないでしょうか。

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子どもに“教えてあげる”スタンスはNG。親がすべきことはーー?

————健やかに学び、健全に育ってほしいというのはどの親も抱く思いだと思います。教育に委ねるのではなく、親ができる努力には何があると考えますか?

松田 前回のインタビューでも触れましたが、「学ぶのは面白い」という感覚が持てると、子どもは自分を超えた目的に出会い、新しい世界と接点を持つきっかけをつかんでいきます。
そこで自分の殻が破れて変化していくし、結局は社会で求められている「自分で考え、動く」力が養われるのでは、というのが僕の考えなんですね。

つまり「学ぶのは面白い」という感覚を養うため、保護者のみなさんがサポートできるのはなにか、と言い換えられると思うのですが、「親が一緒になって面白いことをやる」というのが大事だと考えています。
僕らの世代ですと、ゴムを巻いて飛ばすおもちゃのプロペラ飛行機をよく作ったんですよ。
どうもうまく飛ばないと子どもたちが四苦八苦する横で、一緒に作っているオヤジが「お前らはまだヘタやな」と自分だけうまいことピューっと飛ばす。
それを見て「なんでやろ、悔しい!」と考え、子どもは自分で工夫するんです。

「教えてあげる」というスタンスで接したり、「80点が90点になったの!じゃあプレゼント買ってあげる」みたいな態度でいたりすると、結局のところ親は子どもの行動の結果を判断する裁定者の立場になってしまう。
それでは顔色を見て大人に気に入られることをするだけで、創意工夫の気持ちは生まれづらいんですよね。これは実体験でして、自分の子どもにも大きくなってから言われたことです(笑)。

「何かに出会い、自分が変化する」ことが学びの基本ですから、まずは出会いを促すこと。
そして子どもが自分で感じて変化していけるように一緒に遊んで、面白さを伝えてあげること。
原始的すぎる気もしますが(笑)、親も子どもと一緒に楽しむ、そういう接し方が必要なのではないでしょうか。

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「学ぶ」ことには「人と人をつなぐ力」がある

————親と子どもが楽しみながら一緒に学ぶのは素敵な関係性ですね!最後に、これから未来に向け、学校教育のあり方はどのように変化し、進化していくと思いますか?

松田 もともと「学ぶこと」を合理的にやるために教育制度を作ったのに、いつしか制度を整えることが中心になってしまっているのが今の教育を取り巻く現状としてあり、本来の姿であった「学び」が一歩後ろに引いてしまっている気がするんです。
だから小学校だからとか何歳だからとかは関係なく、学びたい人はみんな集まって学ぶ、みたいなことが当り前になればいい、と思いますね。

ひとつ例をあげると、高知県土佐町に「生涯楽習学校」という取組があって、児童に混じって一般の人が授業を受けることができる仕組みがあるんですよ。
例えば、小学校の書道の授業だと、地元のおばあちゃんが四年生くらいの子どもたちと一緒に授業を受けていらっしゃって。
最初は「指導の手伝いをするのかな?」と思ったのですが、隣の席の女の子に「墨のすり方が違うよ。その角度で擦ったら斜めになっちゃうよ」とか言われていて、「あ! 一緒に勉強していらっしゃるんだ」と。
で、違う場面ではおばあちゃんから子どもたちに声をかけてて、なんだかその関係がすごく自然な気がしたんです。

「学ぶこと」にはおそらく、人と人をつなぐ力があるんだと思うんです。
一緒に学んだり共感したりすると、人は楽しい気持ちになるし、教わったことは自然に人に教えたくなりますよね。
だから先の女の子は先生に教わった墨のすり方を、素直におばあちゃんに教えたんだと思うんですよ。
地域社会の老若男女、いろいろな人が学校で学び、先生は誰が来ても面白い授業を考えたり、その代わり大人に子どもをみてもらう時間があったり、そういう開かれた学校のイメージというのでしょうか。
小中高、大学とか、社会教育とか家庭教育とか、これまで機能で分けられていた「学び」があちこちでくっつき、交換されていく。
そういう「学びの結合」とか「学びの循環」のようなものが人をつなぎ、人を変えていく社会になればいいな、と僕は思います。

Interview/Text: 木内アキ

松田恵示

まつだ・けいじ/「遊び学」研究者、東京学芸大学教授。
1962年生まれ。和歌山県出身。大阪教育大学大学院卒。専門分野は社会学(スポーツ・教育・文化)と教育研究(体育科教育/教育支援)。NPO法人「東京学芸大こども未来研究所」理事長、「中央教育審議会生涯学習分科会」専門委員、吉本興業主催「笑楽校」監修など、教育および教育支援に関する多くの要職を兼任。学校と社会を繋ぐための教育人材の育成や、スポーツ教育の開発を通じて、教育現場との実践的な共同作業を行っている。一方、社会意識論の立場から「遊び文化」を研究。あらゆる場面で「遊び」を取り入れた活動・普及に取り組んでいる。

http://qreators.jp/qreator/matudakeiji

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