“かわいい”を生み出すアートディレクター千原徹也の挫折と決心の半生

2016.1.27

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世の中に『かわいい』という感性で多くのデザインを世に送り出している株式会社れもんらいふの代表兼アートディレクター・千原徹也。
しかし、その過去は意外と知られていない。京都から東京へ出てきた経緯は?
デザイン業界に飛び込んだきっかけは?
アートディレクター・千原徹也の半生をインタビューから切り込んだ。

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映画のタイトルデザインが大好きだった学生時代。


――今はアートディレクターとして様々なデザインを手がけている千原さんですが、デザインに興味を持ったきっかけはなんでしたか?

千原:映画ですね。僕は昔から映画が好きで、学生の時期は年間300本という映画を観ていました。ここまでたくさんの映画を観ていると、映画の中に入りたくなりまして・・・思いついたのが、デザインという入口だったんですよ。その時にデザインを仕事にしようと決めましたね。

――どういうところで映画にデザイン美を感じたのですか?

千原:子供の頃から映画を観る際に、始まるときのタイトルの出方に惹かれていたんですよね。ある日、映画を見ていて、タイトルがさらっと出てしまう映画は、2時間映画に入り込めないことに気づきまして・・・それからタイトルの出方にこだわっている映画は内容もいいなと思うようになりました。映画のタイトルが好きすぎて、好きな映画のタイトルが出る瞬間だけをまとめたビデオを作ったこともありましたね。完全なるオタクでした(笑)。これは一体だれが作っているんだろう、と調べていくうちに、タイトルの巨匠と言われている、ソール・バスという方を知りました。その人の肩書がグラフィックデザイナーだったことからデザインというものに興味を持ち始めましたね。それで大阪にある小さなデザイン会社に就職して一からデザインというものを学びました。

――なるほど。映画のタイトル好きが転じて、この世界に入ってこられたんですね。その頃から東京進出は夢見ていたのですか?

千原:いいえ。デザイナーへの入りが映画だったので、目指すところは東京というよりもハリウッドでしたね。だから、ものすごく遠い存在で、行けるわけないと思っていました。就職した大阪の小さなデザイン会社で細々とやっていました。

――大阪ではどんな仕事をしていたのですか?

千原:マクドナルドのクーポンのデザインをしていました。表面ではなく裏面の。
表面は東京で出来上がったものが送られてきて、価格表示を変えるくらいでした。僕はクーポンの裏面に店舗の地図をひたすら入れていましたね。デザインというよりも作業という感じでした(笑)。それでも合間に、友達のお店やイベントのフライヤーなどをデザインしていましたし、それなりに満足していたんですよ。でも、その頃くらいからデザインの中心は東京にあるという事に気づいたんですよね。でも、僕は美大を出ていたわけでもないし、東京のクリエイティブに触れられるわけないと思っていました。

――マクドナルドのクーポンからデザイナーキャリアがスタートしたわけですね!なぜ東京に進出しようと思ったのですか?

千原:佐藤可士和さんのデザインしたSMAPの3色で構成されているデザインを見て衝撃を受けたんです。それを見て、自分も試してみたいなと思ったんですよね。人生一回くらい挑戦してみようと思うじゃないですか(笑)。その思いで、上京してきたんです。

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夢を胸にいざ上京。しかし、3ヶ月で実家に逆戻り。


――東京には、挑戦する勢いできたのですね。東京ではどうやってデザイナーをスタートしたのですか?

千原:とりあえず片っ端から東京のデザイン会社に履歴書を送りまくりました。その中の1社がアルバイトで採用してくれたんです。そこは電通系列のプロダクションでした。東京に来て初めての仕事は、某食品の広告デザインでした。いきなり広告の仕事に携われたのですが、とにかく東京のクリエイティブのレベルの高さに追いつくことに必死でしたね。会社内は僕より年齢が下の先輩ばかりだし、周りは自分よりレベルが高い。できない自分のことを下に見ている雰囲気や、家に帰れないほどの仕事量……。そのハードさに耐えられず、3か月で辞めて京都に帰ったんです。

――京都に帰ってからの反応はどうでしたか?

千原:京都の人は地元が大好きなので、快く迎え入れてくれましたよ。よく帰ってきた、といった様子だから、僕も何だか心が和んで……。でも、親しい友人の中で唯一、一人だけ僕のことを叱ってくれる人がいたんですね。その友人から、「東京で死に物狂いで頑張って、成長した姿を楽しみにしていたのに」「見損なった」、とまで言われました。
そんなこともあって、とても落ち込んでいるときに、たまたま東京で一緒に仕事をしていた電通のアートディレクターの方から直接電話があったんですよ。頼みたい仕事があると。その時、これはチャンスだと思い、もう一回挑戦してみようと東京に戻ってきました。

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一度は挫折し、離れた東京。友人の一言で、もう一度挑戦することを決める。


――友達の言葉に奮起したんですね?

千原:そうですね。あと、それまでの仕事は会社と家の往復だけで、それ以外の東京を知らなかったんですね。仕事の合間に東京を知ったり、個展やセミナーに参加したりしてデザインの勉強や友達を作ろうと思いましたね。大阪では個展やセミナーなどあまりなかったのですが、東京は探せばどこかでやっていたし、情報はあふれていることに気づきました。そして、初めて参加したセミナーの終わりに主催者からみんなで飲みに行こうと誘われまして、そこで東京で初めての友達ができたんです。28歳の時でした。

――再挑戦を決めて、再上京して新たにデザイナーキャリアをスタートされるわけですが、焦ることとかはなかったのですか?

千原:焦っちゃいけないという事だけは決めていたんです。自分のことを冷静に分析して、すぐに大成するタイプではないと思っていました。目標を35歳に設定して、その頃までに成果が出ればいいと思っていたので、焦ることはなかったですね。でも、東京行きを反対した実家の母を安心させるために、毎月10万円を仕送りしていました。その時の月給が12万5千円でしたから、足りるわけもなく……でも、母を安心させたい気持ちは揺るがない。その頃は、ローンをしてでも仕送りをしていましたね。
自分は母のためにも成功しないといけない、という使命感も感じていました。

――キャリアや実績がない頃には焦りが前に出がちで、自分を冷静に分析する、というのはなかなか普通できることではないと思います。仕送りも続けながら、となると半端な気持ちでは続かないですよね。

千原:当時は大変でした。とにかくやめないで前を見てしがみついて頑張るしかないという状況で、目先のことを追っていました。その後、転職した会社の社長さんが、とても僕のことを必要としてくれ、物事が前に進み出しました。当時のローンも、その社長さんのおかげで返済もでき、また新たに再スタートを切る準備が整ったんです。

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出会った方々とのご縁に恵まれ、また新たなスタートを切れることに。

――いいご縁に恵まれ、気持ち良く再スタートを切れたわけですね。

千原:そうですね。それから仕事も順調に行きはじめました。その時に、ファッションのグラフィックデザインに携わり初めてデザインが楽しいと感じました。その瞬間、自分のやりたかったことにたどり着いた!と感じました。社長がとても良い方で、僕を前に立たせて仕事をさせてくれたこともあり、いままでよりも広く人脈を作ることもその時期にできました。

――その流れで独立されたのですか?

千原:いえ。それから、別のデザイン会社で1年ほどやってからですね。独立をする際に、株式会社スマイルズの遠山正道社長に相談しました。そこで、会社を立ち上げる厳しさや心得を教わりました。その遠山社長の手助けもあって、オフィスを借りることができたり、無事会社を立ち上げるに至ったんです。本当に感謝していますね。この『れもんらいふ』の名前も遠山社長が付けてくれたんです。いつまでも青い気持ちを忘れないという意味が込められています。

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東京で出来た“友達“を大阪の人たちに紹介したかった。


――昨年、大阪のファッションビルで「れもんらいふ展」を開催されたとのこと。今までの実績やつながりを通じた展示、とのことですが、会社を立ち上げて4年で個展を開催するなんて、すごいスピードで成長しましたね。

千原:そうですね。周りからはすごい成長だというお言葉を頂くのですが、自分としてはこれまでストックしてきたものを吐き出して作り上げるという感じでした。まだ立ち上げて4年で振り返るにはまだ早いとも思ったし、個展については最初やるつもりはありませんでした。ですが、自分のデザインの拠点である大阪で、東京でできた友達を呼ぶことで、昔の僕のような大阪でデザインをしている子達に何か伝えることができるんじゃないかと思い開催に至りました。僕が感じている東京を大阪の人に感じてもらおうと思いました。だから、東京でできた仕事仲間を“友達”と呼んで、大阪の人たちに紹介する意味も込めて『TOKYO FRIENDS』というタイトルにしたんですよ。

モデルの秋元梢さんやジャルジャルさんなど、みんな来てくれてイベントを盛り上げてくれました。この『TOKYO FRIENDS』をきっかけに、僕みたいに人生がかわるようなことがあればとてもうれしいなって思っています。

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「れもんらいふ」らしい、かわいいを作り続ける。


――れもんらいふ展は大盛況で終わられたとのことですが、今後、千原さんがされていきたいことはありますか?

千原:このイベントを開催するにあたって、イベントのキャッチコピーを考えてくれたコピーライターの小藥元さんに『れもんらいふは、もう形容詞になっているよ』と言われたんですね。
“れもんらいふっぽさ”というのが生まれているよ、と。
今まで、自分らしさというか、千原テイストのデザインとは?ということをあまり考えていなかったので気づかなかったのですが、これを言われた瞬間に、自分の4年間が実っていたんだと気づかされましたね。
『れもんらいふ』って名前にも込められているのですが、レモンって熟すまで青いじゃないですか。その未完成具合が『かわいい』につながることを目指しているのですが、その狙いがしっかり相手に伝わっていると確信できたことが新しい気付きでした。
これからも、“ロジカル”が吹っ飛ぶくらいの、『かわいい』を作り出すことを目指し続けます。

Interview/Text: 松下純

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千原徹也

ちはら・てつや/アートディレクター/グラフィックデザイナー/株式会社れもんらいふ代表
1975年、京都府生まれ。京都でデザインをはじめたあと、2004年に上京。大手広告会社やファッション関係のデザイン事務所を経て、11年にデザインオフィス「株式会社れもんらいふ」を設立。広告、装丁、ファッションブランディング、WEBなど、デザインのジャンルは多岐にわたる。
主なアートディレクションは、スターバックスのイベント、舞台「100万回生きたねこ」、Zoff SMART、Zoff CLASSIC、菊地凛子web、きゃりーぱみゅぱみゅの振袖デザインなど。また、近年は洋服ブランドZUCCaとのコラボレーション「ZUCCa LEMONLIFE CO.」のデザイナー、ラジオパーソナリティ、アーティストのMVやCMの監督など、さらに活動の幅を広げている。

http://qreators.jp/qreator/chiharatetsuya

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