QREATORS

子どもの頃に多くの経験をしたこと。それがaeruにつながっている

2015.11/5

Oyako title yajima1105 01

現役大学生のとき『株式会社和える』を起業。
日本の伝統産業を次世代に残そうと、職人が作る“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げた矢島里佳さん

全国の職人のもとに足繁く通い、つながりを構築しながら物を生み出すバイタリティ。
伝統文化という既存の価値観に新たな息吹を吹き込む発想力。

何がやりたいのか、そのために何をしなければいけないのか。
次々と思いを形にして、世の中に提案を投げかける若きクリエイターは、どのようにして育ってきたのか?
自身も起業家である母・久美子さんから、創造力が生まれる子育ての秘訣を紐解きます。

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習い事を通して、子どもの可能性の「芽」を育てる

————里佳さんは子どもの頃から伝統文化に興味があったのですか?

里佳 東京で生まれて千葉のベッドタウンで育ったので、日本の伝統や文化とは無縁の生活でした。
だから夏休みに田舎の祖父母の家に行く友だちがとても羨ましくて、家ではよく“田舎ごっこ”をして遊んでいましたね。
おままごとの田舎生活版というか、床に置いたフラフープを井戸に見立てて「ご飯作るから井戸で水を汲んできて」みたいな(笑)。田舎の暮らしに憧れを抱いていました。

久美子 私は『リトピュアリトミック』という音楽を使った乳幼児教育の会社をしており、当時から働いていたんですね。
家にいない時間も多かったので、里佳がそんな遊びをしていたのは全然知らなかったです。

里佳 我が家では、母親といえば働いているというのが、日常の生活でしたね。

————幼少期は、どんな子育てを意識していたのでしょうか。

久美子 習い事をものすごくたくさんしていたんですよ。まずはリトミックでしょう(笑)、他にも英会話、水泳、合唱、バレエ、絵画、フルート、ピアノ……。

里佳 たしかプリザーブドフラワーとフラワーアレンジメントも習ってたよね?
こう話すと「習い事ばっかりで大変だったんだね」とよく言われるのですが、全然そんなことないんですよね。
毎日いろんなところに連れていってもらって、違う体験をするのが楽しかったんです。子どもって時間がいっぱいありますから(笑)。

久美子 私自身「小さい頃にたくさんの経験をすることが、将来の選択肢につながる」という信念で乳幼児教育に関わっているんです。
たとえば音楽をやりたいのにリズム感がないとか、サッカーがやりたいのに運動神経がないとか。子どもがやりたいことを見つけたときに基礎的な能力が足りていなかったらもったいないでしょう。
だから習い事、という形で様々な機会を用意して与えてあげて可能性の芽を育てておく、というのでしょうか。

小さいときからいろいろ習わせていると「親が無理にやらせたら可哀想。やりたくなったときにやらせればいい」と言われることもあります。
でも「やりたい」と気づいたときは遅い、という場合もあるし、あらかじめ可能性の下地を作っておいてあげるのは、親にしかできないことなのかな、と。

里佳 実際、やらされてる感は全くなかったですね。イヤだったらイヤと言えば絶対に無理強いはされませんでした。
実際に、ピアノ教室も「私は大きい音符の楽譜がいいのに、先生が小さい音符の楽譜を出してくるからやだ!」と言って辞めていますし(笑)。
私は趣味で習っているのに、ピアニストを養成するような教え方をされると子ども心に楽しくなかったんですね。
大きい音符で弾きたい曲を弾きたい。母はその気持ちをちゃんと理解してくれて。そのあと、母は私に合うピアノの先生を新たに見つけてくれました。

久美子 小さい頃は、楽しくやれたらそれでいいと思ったんです。
楽しければ続きますし、続いて下地ができれば、大人になってからまたいつでも再開できるので。

里佳 私自身も、やるからには極めなきゃいけない、みたいなプレッシャーは一切なく、「趣味・教養レベルでいい」と思って楽しみながらやっていたのもよかったと思います。
極める必要がないから「もっと頑張れ」とか、人と比較もされませんしね
勉強も同じで、100点を取って当り前の家庭で育った友人は80点を取ると叱られることもあったそうですが、我が家は80点を取っても「よかったね」で終わる(笑)。
100点を取ったらさらに褒められる。伸び伸び育ちましたね。

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幼少期の成長は「点数」では計れないもの

————勉強の話が出ましたが、勉強にまつわるルールのようなものはなかったのでしょうか。

久美子 幼少期の成長って点数では計れないと思うんですよ。
いろいろな習い事を通して自分で考える力を身につけているのは分かっていましたし、自分の意見もちゃんとある子だったので特に何か言うこともなかったですね。
漠然と「たぶん勉強はできるんだろうな」と思っていたんですけど、中学受験のときに意外とそうでもないのが分かって(笑)。
かといって成績が悪いというほどでもなく、だいたい中の上くらい?

里佳 そうだね。学校で習う勉強と、受験に必要な勉強は全然違って。
小学校の授業は簡単なのに、受験はいきなり難しかった。

久美子 それでも必要があれば自分から勉強をしていましたから「自分の道を自分で選んで行くだろうな」と思い、心配はしていませんでした。
高校時代に慶應大学を受けるときも、自分でAO入試のことを調べて「合格したい」って募集要項を持ってきたんです。

里佳 受験するのは私ですが、合格を決める試験官は母親世代。
子どもの独りよがりな発想をしていてはダメで、その人たちがいいと思わないと合格しないから、それなら母に相談するのが一番かなと、思って。

久美子 『コミュニケーション能力を求める』とかいろいろ書いてあるんですけど「これ里佳ちゃんのことだよ!絶対合うよ!」とピンと来て(笑)。
そこからはふたりでどうすれば受かるか作戦会議です。「こういう長所がある、と相手に伝えるためにどういう方法がいいのか」というディスカッションに始まり「こういう子が求められているらしい」と一緒に調べたり。

どう企画書を通すか!? みたいな感覚で一緒に夢中になっちゃうんですよ。
合格したときの喜びは、娘の受験が……というよりも「このプレゼンが通った!やっぱりね!」みたいな喜びでした(笑)。

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昔から「子ども」としてではなく、ひとりの「人間」として意見を求められていました

————基本は子どもの自主性に任せていながらも、協力は惜しまないんですね。

里佳 小さい頃から、子どもというよりひとりの人間としてちゃんと向き合ってくれてたな、と思います。
たとえば母は、自分の教室の発表会があるときは、小学生だった私と妹を必ず呼んで、終わった後に「どうだった?」と意見を求めるんですよ。
そうやって子ども扱いせず聞いてくれるので、私たちも「今年はどうだったか」「来年はどうすればいいか」とアドバイスをするというか、率直に意見を伝えるようにしていましたね。

久美子 今も昔も、子どもというより“活動を一緒に見ていてくれる人”という感じなんですよね。
小学生のときから、しっかりと見てて答えてくれるんですよ。大人である私や会社の人間の意見と比較してもそう変わらないことを言ったりするので「よく見てるな」と。
感心しましたし、それは子どもの頃からいろんな経験をしたり、同世代とだけではなく、いろんな大人と接してきているからだろうな、とも思っていました。

里佳 『和える』を立ち上げてから、経産大臣の有識者会議に有識者と呼んでいただき、意見を求められる機会も出てきて。
同級生には「なんでそんな大御所に囲まれた場面で自分の意見が言えるの?」っと聞かれたのですが、唯一の20代だったので、おそらく呼ばれる理由は私の年代から見て感じていること、また学生時に起業した起業家という当事者から見えていることを意見として求められているのかなと考えました。
ですから、素直に感じていることをお伝えすることで、少なからず貢献できるのではないかと思い発言をしていました。

年齢は関係なく本質を捉えた意見は採用される、という経験を子どもの頃から家庭でしていたからだと思います
その代わり、母の発表会に呼ばれるのと同じで、「自分が何を求められているのか」という求められる役割や立ち位置は意識しますし、しっかりとそれには応えなければと真剣に向き合います。

久美子 前は私のほうが大人として経験があったのでいろいろアドバイスしていましたが、今は娘がアドバイスをくれる側になってきて。それって頼もしいですよね。

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里佳 父が子どもに考えさせる人だった、というのもありますね。なにか質問すると必ず「なんでだと思う?」と聞き返すんです。
だから何にでも疑問を持つようになったし、答えが合っている・合っていないに囚われず、自分の観点で思考して、分析する、という姿勢が身についたのかもしれません。
そう思うと、なんでもすぐ答えを与えられなかったことも良かったですし、自分の意見を他人と比較をされなかった、というのもよかった。
妹とすら比較されたことは一度もないので、「自分は自分」というスタンスで意見が言えるんでしょうね。

————「お姉ちゃんだから」「妹だから」というのは、つい親が言ってしまいがちな言葉です。それはあえて気をつけていたのでしょうか?

久美子 もちろん気をつけようとも思っていましたが、それ以上に、比較しようにもあまりに個性が違うふたりなので(笑)。
私と里佳は自分で起業して、どちらかというと仕事が大好きですけれど、妹はとにかく堅実なんです。堅実な会社に入り、将来は堅実なサラリーマンと結婚して、堅実な母親になって。いつも「普通が一番だ」と話している子で(笑)。

里佳 私の活動について「やらなくても生きていけるのに、そこに切り込んでいくのすごいよね。私は、土日休んで自分の時間があったほうがいいけどね」って言うんです(笑)。
妹は堅実に生きるという価値観を叶えるために、土日休みの会社を選び、安定した企業にサッと就職も決めています。
世の中や人の意見に流されて、とかではなく確固たる信念を持って自分の人生を決めています。だから人を羨むことがないし、自分の生活に満足してます。

久美子 習い事の機会をいろいろ与える、というのは姉妹どちらにも同じようにやってきたことなんです。
でも進んだ方向が全く違うところに個性を感じますよね。
ふたりとも自分の人生に意欲的に向き合って、自分で選び取っているところが共通点なのかな、と思っています。

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習い事を通じていろんな体験をさせ、子ども扱いせずにどんどん意見を求める。
自分で触れて、自分で考え、さらにそれを認めてくれる環境が、里佳さんの考える力を伸ばしていったのかもしれません。

後編では大学時代に起業を決めた里佳さんに、母はどう向き合ったのか? という話に続きます。



aeru京都直営店「aeru gojo」が11月7日(土)12:00にオープン
営業時間:平日10:00〜18:00(水曜定休)
場所:〒600-8427
京都府京都市下京区松原通室町東入玉津島町298
電話番号:075-371-3905(営業時間内)
7日のオープンから10日まで、矢島里佳氏もaeru gojoにてお待ちしております。

11月23日(月祝)開催!「六本木アートカレッジ〜クリエイティブシャワー〜」に矢島里佳氏が登壇
丸若屋代表・丸若裕俊氏とともに「再生〜日本の伝統に、スイッチを入れる〜」をテーマにトークします。
参加申し込みはこちらから

Interview/Text: 木内アキ
Photo: 森弘克彦

矢島里佳

やじま・りか/株式会社和える 代表取締役。
1988年、東京都生まれ。1職人の技術と伝統の魅力に惹かれ、19歳の頃から日本の伝統文化・産業の情報発信の仕事を始める。「21世紀の子どもたちに、日本の伝統をつなげたい」という想いから、大学4年時である2011年3月株式会社和えるを設立、慶應義塾大学法学部政治学部卒業。幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、子どもたちのための日用品を、日本全国の職人と共につくる“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げる。また、全国の職人とのつながりを活かしたオリジナル商品・イベントの企画、講演会やセミナー講師、雑誌・書籍の執筆など幅広く活躍している。2013年3月、慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程卒業。2013年末、世界経済フォーラム(ダボス会議)のヤング・グローバル・シェイパーズに選出される。2014年7月、書籍『和える-aeru- 伝統産業を子どもにつなぐ25歳女性起業家』を出版。第4回 DBJ女性新ビジネスプランコンペティション DBJ女性起業大賞受賞。

http://qreators.jp/qreator/yajimarika

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