丹下紘希×半崎信朗「成功の定義とは。『共感』と『本当の自分』」

2015.10/21

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前編にて映像作家のお二人にお互いのクリエイトの動機や原点について話を伺ってきましたが、それらを踏まえ中編ではこれまでのターニングポイントや自分にとっての成功の定義について語っていただきました。

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中華料理屋のおばちゃんだって、立派な芸術家

――“変わり目”という言葉が出てきましたが、自身のキャリアで一番の“変わり目”だったポイントはいつですか?

丹下 僕は2011年の3月11日、東日本大震災が節目ですね。当時のスタッフたちと毎日「何が起こっているんだろう」と話し合っていましたが、早い段階で「変わらなくてはならない」という結論が出ました。
そこでとりあえず会社のメンバーにはみんな独立してもらって、自分ひとりになろう、そして映像の仕事はもう辞めようと思ったんです。

――その後、拠点を東京から地方に移されましたね。

丹下 そう。「クリエイターは東京にいなくてはいけない」という、世間の風潮が嫌だったんです。
あと、例えば東京の電力が福島から50%もロスしながらやってきて、しかも原発事故のようなことが起きても東京は止めなくていいように出来ていた、というように、誰かを踏み台にして都市の生活が成り立つという感覚で、同じように誰かを踏み台にしてクリエイティブな仕事が成り立つというのは、ちょっと気持ち悪いことだなと考えて。
そうではないやり方が何かできないかと模索したところ、何も仕事を生み出さなくても自分が創造的になればいい、という結論に至ったんです。
そして、僕が今言いたいことは、誰もが芸術家になれるということです。例えば中華料理屋のおばちゃんが鍋振り回しながら「この国の政治はねー!」なんて既存の社会に疑問を感じたり、メッセージを発信しだしたりしたら、彼女は立派な芸術家といえるのかもしれない。
誰もがいろいろな矛盾に対してなにかの発見をして、それを他の人に伝えようとしたならばその人はすでに芸術家、そういう人たちの集合体で社会ができていたら、日陰で泣いているような人もいなくなるんではないかと考えています。

半崎 そう考えると、僕は丹下さんに比べて劇的な人生を送ってきたわけではないですし、特別な変わり目は無かったかもしれません。

――例えば、作品の作り方や、アウトプットした成果物の満足度は変化してきましたか?

半崎 そうですね。ただ現状も、仕事の満足度は案件ごとにバラつきはあります。
「これはいい作品ができたな」と思えるのは、課題をこなしながらも作家性を出せたときです。自分の満足するものは、大抵周りからも良い評価がいただけます。

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丹下 人間というのは自然に選択するものだからね。半崎くんって、もともと4畳半の作業場で暮らしながら制作していたでしょ? あれは、何かを忘れないためにそうしていたんだと思うし、そこを出てしまうことで起こる大きなものにのみこまれるような何かを避けるための手段だったとも考えられる。
例えば、こういうインタビューでも、危険を察知して話さないこともあるのかもしれない(笑)。

半崎 観察されていますね(笑)。

――では、お二人が今までにぶつかった一番大きな壁はなんでしょう。

半崎 僕は大学を卒業してから、どこかに就職するわけでもなく、初めからフリーランスとして様々な仕事をやってきました。
そのなかでも、自分の作家性を発揮できない仕事もありましたね。多分僕が作らなくても似たような結果になっただろうなという仕事です。

――なぜそういった仕事を受けていたのですか?

半崎 当時、イギリスに留学がしたくてお金を貯めていたので。そういう仕事は精神衛生上良くないなと感じながらも割り切ってやっていました。
大きな壁というよりは、沼の中を歩いているような感じでしたね。

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「クリエーターになるためのヒント」は自分の感情の先にある

――禅問答みたいになるかもしれませんが、作家としての「成功」とはなんでしょう。

半崎 さっき(前編より)話した「共感」が、ピンポイントで誰かに生まれたとき。対価に「あ、この作家自分と同じ」と思ってもらえたら僕にとっては成功のような気がします。
純粋なものを100%出すことに集中し、広い範囲に見てもらう努力をする必要があると思っています。

丹下 最終的にはいかにして「本当の自分」を探すかだと思うんです。「本当の自分」とは、社会的な評価や自分が維持しているある意味豊かな生活を全部取り払って、自分の中の重要なものが「自分自身」であると気づいたときに見つけれるものなのかもしれない。
一番いけないのは、無自覚のまま進んでしまい「クリエイターになるにはここに書いてある通りにすればいいんだ」と考えてしまうこと。
そもそもそんなハウツーなんてあるわけないし、たとえそうだとしても、そのやり方で出てきたクリエイターって、成長の余地があるのかと疑ってしまう。だから、自分の心の中にある憤りとか悲しみとか嬉しさとかの感情のその先にある、“鍵”をどんどん見つけていってほしいです。

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いわゆる“肖像画”ではないものを追求したい

――ちなみに、2人にとってアイデアの源泉はどこにあるのでしょう?

半崎 アイデアは、自分が見たり聞いたりしたものからしか出てこないと割り切って、自分の過去を掘り下げます。特に子供のころに熱中したものは、自分のオリジナリティやアイデアに大きく関わっている気がします。90年代は、現代のようにネットもなく選択肢が少ないので、宮崎駿さんの映画や、手塚治さん、藤子・F・不二雄さんの漫画を何度も読み返したり、身の回りのものをひたすら絵に描くことが好きでした。そういった時間をかけてインプットしたものからオリジナリティが育まれていると感じています。

丹下 アイディアがどこから生まれるのかというより、アイディアそのものの発見が大事です。僕はこのことって、デモクラシー的な部分と密接に引っ付いているんだな、と最近は実感するんです。
基本的に自分に許されている権利、「基本的人権」と非常に近いところにあるような気がしていて。それが表現という発露を見出していくんだと思います。
ところが過去の美術や芸術の中にはそことは真逆の性質で、誰でもが知っているような……肖像画のように残っている作品は、今でいえば大企業の発注を受け、その作者を礼賛、褒め称えるための絵画だったわけで、そういうものは広告としての価値であって社会の矛盾をむしろ生み出してしまう。そこに価値を置いている美術館というものは、その時点でダメだし、アイディアと呼べるものは無い。
そうではなくて新しいものを見つけていくということに関しては、まだまだ夜明けの段階かもしれないと思います。

―――新しいものを見つけた結果、何が生まれるでしょうか。

丹下 ようやく美術の幼年期が終わるんじゃないか、という気がしていて。
さっき僕がいった誰もが芸術家になる世界というのは、本当の自分自身と向き合って、自分の価値というものを出していける場所のこと。

Interview/Text: 中村拓海
Photo: 森弘克彦

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丹下紘希

たんげ・こうき/映像作家、人間。1968年、岐阜県生まれ。舞踏家大野一雄に師事。数多くのアーティストのジャケットのデザイン、ミュージックビデオを手がける。反原発、反戦を宣言し、2012年経営していた会社を一時休止、NOddINという芸術運動を仲間と立ち上げて活動している。

半崎信朗

はんざき・としあき/映像作家。1981年、東京生まれ。東京藝術大学大学院デザイン科修了後、フリーランスとして活動を開始。最近手掛けた作品は「Mr.Children Stadium Tour 2015未完」の「擬態」「Starting Over」、「Mr.Children TOUR 2015 REFLECTION」の「進化論」「Waltz」、ミュージックビデオAKB48「履物と傘の物語」、半崎美子「明日へ向かう人」など。独自の世界観で多くのアーティストから支持されている。

http://qreators.jp/qreator/hanzakitoshiaki

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