いじめ、ストーカー問題……「遊び」がないと社会問題が起こる!?今こそ必要な「遊び」の正体

2015.9/11

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「うちの子は遊んでばかりいる」「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と、「遊び」というものはとかく悪いもの、無用なものとしてみなされがちである。
ネガティブな表現で使われることも少なくない。

しかし、「遊び」は本当に悪いもの、無用なものなのだろうか。
……それ以前に、そもそも「遊び」とは、いったい何をもって遊びというのだろう。

今回は「『遊び』は社会に必要なもの」と主張する、「遊び学」の第一人者松田恵示先生にお話を聞いた。

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「遊びをする」と「遊びにする」はまったく違う

——現代の子供たちは、テレビゲームや企画もののおもちゃなど、さまざまな遊びのツールを持っているように思います。しかし、松田先生は「現代には遊びが少ない」と主張されていますよね。どういうことでしょうか。

松田 現代には「遊びを作り出す」ことの必要がないものにあふれています。
テレビゲームなどは、遊びの世界があらかじめ提供されていますよね。
だから、子供は"すでに作られた遊びの世界に入っていく"という方法で遊びます。しかし、"遊びを作り出す"ような方法で遊ぶことは少なくなっています。

——「遊びを作り出す」というのは、新しい遊びを自分で作り出すということでしょうか。

松田 必ずしも、新しい遊びを作り出すことを意味していません。
例えばしりとりをしているとき、人はその状態を「遊んでいる」と言いますよね。しかし、しりとりをしている状態が、実は、実際に遊びになっているときと、なっていないときがあります。
しりとりを単に「つまらない…」と思ってやっているときには、遊びになっているとは言えません。
ところが「単なるしりとりではつまらないから、山手線駅名しりとりスタート!」などとルールをつけ加えたりして能動的に楽しもうとしているとき、しりとりはワクワクする遊びになってきますよね。

——なるほど。

松田 「遊びをする」と「遊びにする」はまったく違う、という感じです。
「遊びにする」、つまり能動的に、楽しくワクワクとした遊びの世界、空気感を自分自身で生み出すことが、現代には少なくなってしまっていると感じます。
そういう意味で、私は「現代には遊びが少ない」と考えています。

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遊びとはそもそもなに?3つの要件とそこに向かう態度

——「しりとり」が遊びである場合と、そうではない場合があるということなんですね。では、遊びとはどんなものを指すのでしょうか。

松田 『ホモ・ルーデンス』の著者ヨハン・ホイジンガは「遊び=おもしろい」であると書いていて、私もまずはこのひと言に尽きると思っています。
ただ、それだけだと伝わりにくいですよね。
「遊び」の定義にはさまざまなものがあります。私が一番おすすめするのが、東京大学の名誉教授で美学者の西村清和さんが著書『遊びの現象学』であげている、次の3つの要件を満たすものを「遊び」と定義することです。
ちょっと、ぼくなりの言葉で説明してみますね。

1つめは「隙き間」があること。
「ブレーキの遊び」という言葉がありますが、その「遊び」が指すのは、自転車でブレーキを握ってもブレーキがかからない、ぐらぐらした部分のことですよね。そういった隙き間があること。
サッカーで例えると、勝つか負けるかわからない状態って、ぐらぐらしてますよね。これが「隙き間」です。

2つめは、反復する動きがあること。
例えば、サッカーがおもしろいのは、勝ちそうになったり、負けそうになったりという、勝ち負けの間の行き来があるからですよね。
ブランコに乗っておもしろいのも、あっちに行ったりこっちに来たり、と反復する動きがあるからです。

要件の3つめは、「これは遊びだ!」という、特別な感覚があること。言いかえれば「安心感」があること。
例えば、サッカーは勝つために真剣になりますが、たとえ負けても命まで取られるなんてことはありません。負けた場合に殺されてしまうような場合には、それはおもしろい、なんて話にもちろんならないですよね。
そういうメタ認識みたいなものが前提にないと成り立たないのが「遊び」です。

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松田 例えば、いじめが発覚したときに、いじめている側はよく『遊んでいるつもりだった』と発言します。でも、これはちょっとおかしい。
その状況が遊びか遊びでないかは、ままごと遊びや鬼ごっこを考えるとわかります。
ままごと遊びで、来る日も来る日もお父さん役だけをやっているということはありませんよね。一人だけがずっと鬼の役をやり続ける鬼ごっこもありません。
しかし、 いじめは「いじめている側」と「いじめられている側」が固定されている。つまり、ずっーと、なわけです。
それでは、もちろん「これは遊びだ!」っていう感覚はないですよね。つまり「遊び」というものは、役割を交代できなければ担保できないのです。

この3つの要件を満たすおもしろいことを「遊び」だと定義すると、大部分のものは整理できると思います。

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『遊び人』ほどタフ!

——この定義での「遊び」がなくなってしまうと、どうなってしまうのでしょうか。

松田 まず思いつくことは、ひとりひとりが打たれ弱くなってしまうことです。
遊びには、"安心して失敗できる"という特徴があります。遊びがある人は、失敗する経験を積めるのです。
また、張りっぱなしの弓がうまく飛ばず、いざというときに弱いのと同様に、遊びがない人は行きつ戻りつする経験がないために、しなやかに揺れることができません。
報道などでしばしば真面目だった子がいきなりキレるという話を聞きますが、子供たちに、遊びの精神が保たれてないからではないかと思います。

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親は子供に弟子入りをするといい

——子育てをするときにもっと子供の「遊び」を大切にしたほうがいいんですね。でも、具体的にどうしたらいいのでしょうか。

松田 「遊びの時間」には、親は子供に弟子入りするといいのでは?
親が「遊びの時間」に子供に関わると、どうしても親が子供に「これ、おもしろいよ」「これに興味があるのね」と向き合うスタイルになりがちですよね。
そうではなく、逆に子供から学ぶという感じです。九州大学の北山修先生は著書『共視論』で、前者の向き合うスタイルを「対視」と呼ぶのに対して、後者の横に一緒に並ぶスタイルを「共視」と呼んでいます。
日本の伝統的な子育ては、子供に共感するというのが基本になっていました。この、子供と同じものを見る、つまり「共視」という姿勢で子供に弟子入りするといいのかなと思います。

子供は創造性に富んでいますから、遊びを大切にするマインドが少し理解できるかもしれません。

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「遊び」と「それ以外の生活」を行き来することの大切さ

——子供が遊びたいときには、いつでも共に遊んだ方がいいのでしょうか。

松田 幼い子供が食事中に手づかみで食べ物を握りしめて感触を楽しむことなどを見ればわかるように、子供の生活は、「生活=遊び」と言ってもいいほど生活と遊びが切り分けられていません。
しかし、ご飯を食べる時間、お風呂に入る時間、寝る時間などといった「生活」の時間は、発達に応じて「遊び」の時間と切り分けるように促していかないと、「遊び」の時間も逆に豊かなものではなくなってしまいます。
なぜなら、遊びは能動的に「遊びの世界、空気」を生み出していくからこそ成り立つものだし、それは特別な時間だからこそ輝くからです。
そのため、親は子供に「今はご飯の時間よ」「今は遊びよ」と積極的に切り分けて関わっていくことが、シーンに応じて必要だと思います。

遊びを作り出すとき、人は「今は『遊び』なんだよ」という遊びのシンボルを出しあいます。
例えば、何か発言をした後で「なーんちゃって」と付け加えたり、そっと目配せをしあったり、LINEアプリでスタンプを送りあったり。
そのシンボルの出し方はさまざまです。現代の若者たちは電脳空間でのシンボルを見抜き、使うことには長けていますが、一方でリアルな場では少し苦手なようです。
しかし、リアルな場での「遊びのシンボル」を見抜き使うことも非常に大切。
親が子供の時間を生活と遊びに切り分けていくことは、リアルな場での「遊びのシンボル」を意識させることにつながります。

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——「遊び」と「それ以外の生活」の切り替えが大切ということなんですね。

松田 そうですね。切り分けができないまま大人になってしまうと、大変です。
以前に社交ダンスが流行ったことがありましたよね。そのときに、多くの男性は照れてしまってなかなかダンスの世界に入っていけなかったそうです。
しかし、次第に慣れて「遊び」のスイッチがオンになると、今度は切り替えがうまくいかなくて、ダンス場で女性と手をつないだからと、ダンス場を出ても手をつなごうとしたりして女性に嫌がられたりしたそうです(笑)。

逆に、芸人さんはずっと「遊び」のスイッチがオンになっているように見えますが、実は彼らはオンとオフの切り替えが非常にうまい。
その切り替えは楽屋で出番の前に素で座っているときに「何マジメな顔してんねん」などと突っ込まれることなどによって、先輩芸人から鍛えられ、切り替えを学ぶのだそうです。

——大人が「遊び」と「それ以外の生活」の行き来をうまくできるようになるためには、どうしたらいいでしょうか。

松田 これは提案ですが、普段の生活のなかで誰かと一緒にいるときに単純にできるような「マイクロ遊び」をするのはどうでしょうか。
相手と話すときに5秒に1回「あ」を入れなきゃいけないとか。そして負けたら……と考えていくと、とてもばかばかしいですよね(笑)。
そのバカバカしさに、失敗をしながら乗り込んで、マイクロ遊びを繰り返してみると、知らないうちに遊びの感覚がつかめるかもしれません。

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すべての文化は「遊び」のなかから生まれる

——「遊び」というのは奥深いものなのですね。

松田 何かの企画を考えているときに、ちょっと気楽に「なーんちゃって」と言いながらブレストをしていると、ふっとおもしろいものができることは多々ありますよね。

先述のヨハン・ホイジンガは「遊びの中にすべての文化が生まれた」と言っているのですが、実に的を射た言葉だなと私は思います。
ということは、日本人がマジメになって、個人個人に遊びがなくなると、文化は生まれなくなってしまいますよね。
近代以前の日本には、遊びというものが非常に豊かにあったのではないでしょうか。
だからこそ、ゴッホなどが影響を受ける浮世絵というものが生まれてくるほど文化が花開いていたようにも思えるのですが。

ギリシャの哲学者プラトンは、『国家論』のなかで、「すべては遊びなり」と書いています。
私たちは神様の手の上に転がされて、人生などは結局のところ遊ばされているようなものだとプラトンは言っているのです。
ホイジンガの言葉よりもさらに広がって、すべてが遊びだ、などといわれると、これはただものではない、という感じで「遊び」の奥深さが伝わりますよね。

遊びって、ほんとうに「おもしろい」ですよ。

Interview/Text: FELIX清香
Photo: 神藤 剛(人物)

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松田恵示

まつだ・けいじ/「遊び学」研究者、東京学芸大学教授。
1962年生まれ。和歌山県出身。大阪教育大学大学院卒。専門分野は社会学(スポーツ・教育・文化)と教育研究(体育科教育/教育支援)。NPO法人「東京学芸大こども未来研究所」理事長、「中央教育審議会生涯学習分科会」専門委員、吉本興業主催「笑楽校」監修など、教育および教育支援に関する多くの要職を兼任。学校と社会を繋ぐための教育人材の育成や、スポーツ教育の開発を通じて、教育現場との実践的な共同作業を行っている。一方、社会意識論の立場から「遊び文化」を研究。あらゆる場面で「遊び」を取り入れた活動・普及に取り組んでいる。

http://qreators.jp/qreator/matudakeiji

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